2011年05月17日

中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩

この日(4/24)、塩尻宿の終わりから歩き出したんですが、いい加減歩いてから気付いたのが塩尻宿の範囲で、今回のスタートとなった阿礼
神社にある「是より塩尻宿」の道標は西の端を示している、つまり前回の終わりに塩尻宿の大半を終えていたのですね。柿沢集落から現国
道153号に合流したあたりに阿礼神社の御旅所がありました。あそこが塩尻宿の中心に近かったのでしょう。
それでも阿礼神社以西にも、堀内家住宅のような国の重文に指定されているような建物があります。明治新政府が新しいルートを開いたお
かげで中山道の風情が残されたというべきでしょう。
塩尻宿は意外と奥が深い。

153号と合流して三叉路を左にとり、さらに行くと軽いのぼり勾配が続きます。
これをしばらく行くと桜が満開だった昭電の工場を過ぎ、4年前に歩いた平出一里塚です。
大半の人はこの先から平出遺跡へ向かったために、うちらはほぼ単独行動のような形になりました。
ぶどう畑の真ん中をとっとと歩く。
今日は道中での食事のため時間を稼がなきゃいけません。
塩尻宿から中央線を二度越え、今度は国道19号線と合流します。
昭和50年前後ここを歩いた中西慶爾氏の「巡礼中山道」によれば、その頃にはまだ往時の面影があったようです。
今や中山道の面影は皆無。これほど雰囲気が失われたところも珍しいです。
19号に入ってすぐのラーメン屋で昼飯。
なんだか落ち着かない雰囲気の店でとてもビールを飲む気にはならず、ラーメンだけを食ってさっさと出てきました。
地方に行くとまだまだ禁煙の店が少なくていらつきますな。それだけでも店を出たくなってきます。

ちょっと気分を悪くして歩いていると、「山野草 野生らん」の文字があって、迷わず店内に飛び込みました。
フジスズムシソウと、屋久島黄色カキランと書いてあるを購入。
「どちらまで行かれるんですか?奈良井?」
やはり地元の人には、おおよその目的地がわかるようです。
もっともこの日は日出塩でしたけど。
植物たちは袋に入れてしっかりと口を縛りリュックにぶら下げて歩くことにします。

中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩 中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩 中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩
ガソリンスタンドの裏を通って信号から再び旧道に入ります。
肘掛けの松を経て善光寺西街道との追分を曲がって洗馬宿へ。
先日長崎大学のデータベースで明治頃の肘掛けの松の写真を見ました。
松の木は変わったけど、少なくとも写っている範囲は現在とあんまり変わりがないみたいです。
洗馬は昭和の初期くらいの建物がけっこう残されている町ですが、ここもなかなかいい。
特に宿場の入り口が好きです。
東には道標や庚申塔などが多数置かれ、西は坂の枡形の上に中央線が通っています。街中は全然見通せない。まるで起伏まで利用した城門の
ような枡形です。

中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩 中山道ウォーク(6)塩尻宿→日出塩
宿場を出ると再び国道と合流しますが、だんだんと山が近づいてきて谷を作り始めます。
この谷が木曾へと続くんだと思うととてもうれしい。
国道歩きはすぐに終わり、本山宿に入ります。
この宿場も好きな集落で、古い建物が多数残されています。
塩尻までは出梁が目立っていましたが、洗馬からは玄関のような造作が建物の一部に設けられています。普通の民家に玄関など許されるハ
ズもなく、かつ入り口は別にあるため玄関ではありません。どこの家にもあるために賓客用の玄関とも思えません。体裁は武家屋敷の玄関
を小さくしたものですが、あれがなんのためにあるのか知りたいものです。
そして本山といえば川口屋を含めた出梁4重連。
谷口をどんどん絞る山々との風景がなんもいえずすばらしい。
時間に余裕があるので、ゆったりとスピードを落として歩きます。
北は急峻な谷で、街道沿いの家々の裏手は崖下に中央線が走っていて、そのさらに下には奈良井川。
街道の家は崖に石垣を築いて平地を作り、その上に家を建てていたのでした。
中山道から建物内部に入ると、下り勾配があるという構造だったでしょう。
本山宿の東見附には勢いよく水が噴き出すように溝を流れ、その上には水神ではなく秋葉さん。
ここが宿場の入り口だと主張しているかのようです。

再び国道歩きだけれども、これもさして長くない。
旧19号は高架を上がって日出塩の町に入っていきます。旧中山道は線路沿いに進む。地元の人の話を立ち聞きしたところでは、線路が中山
道だったようです。
今街道歩きが中山道として歩いているのは、旧道の高架の下を沿ってすすみ、踏切を渡って会社敷地に沿って日出塩に入る道ですが、実は
旧道の線路寄りの道だったらしい。
おやじの実家は新旧の飯田街道(いわゆる中馬街道)に挟まれています。
旧道は幅1mもない道で、古には敷地内を通っていたそうですが、裏にバス道と呼ばれる新道ができたために、飯田街道はそちらに移った。
その話しを思い出しました。きっと全国にはそんな事例はいくらでもあったんでしょう。

日出塩に入れば道はまっすぐなので、待機中のバスがかなり遠くから見えます。
わざとゆっくり歩いても、バスまではすぐ。
もっとゆっくり歩けばよかったか。
時間調整は難しいですな。
それでも発車30分前の到着。




Posted by くじらちゃん at 20:20│Comments(2)
この記事へのコメント
こんばんは。

たくさん歩いていらっしゃいますね。

なにやら景色が目に浮かぶようです。


またお邪魔しますね。
Posted by i.u.建築企画 at 2011年05月17日 22:19
>i.u企画さん

いつもありがとうございます。
楽しみながらボチボチと歩いています。
Posted by くじら山こうじくじら山こうじ at 2011年06月01日 13:29
 
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