2011年10月15日
中山道ウォーク(15)上尾宿→久下(下)
翌朝は午前7時半の出発ですが、ジジィはやはり5時半に起きてしまいます。
パワーリソースを胃に持って行かれないように朝食は控えめにしました。
昨日の続きから。
鴻巣駅付近は時間が早いので通勤通学の人が多く見受けられます。さすが平日!
なんとなく宿場町っぽい商店街を抜けてたんたんと歩きます。
片道一車線の歩道のない道を歩くと、なぜか旧街道っていう気がしてきます。
宿場を外れても家は続きます。
往時は一面の田んぼだったんでしょうね。
それを想像しながら、ときおり遠くを見ても、回りには家がいっぱい、あとは空が見えるだけ。

箕田観音とか宝持寺などが点々とし、そのたびにいっしょに歩いている人が減ります。
「今日はかなり前の方だぞ」とはしゃいでいるのは自分だけ。
「そんなことないよ」と言うのは妻。
彼女のいうことはほとんど当たらなかったにもかかわらず相変わらずの発言に苦笑いするしかない^^;
氷川八幡に到着。
裏の宝持寺へ人が大半で、これまた余裕をかましてうちらも休憩します。
暑いのによくここまでさして息も上がらずにきたなって感じ。
出発してから30分ほどして、前のグループに追いつきましたからね。
氷川八幡の中では近所の人が掃除中でした。氏子さん?シルバーさん?
あとから追いついて来る人たちを見ていると、だんだん焦りが出てきた。
結局30分程度休憩してたようです。
ブドウ糖を補給して出発。
はやめはやめのブドウ糖ネ!
すっかり人影もなくなり、ちょっと追い上げ気分で出発。
同じような風景が続き、とにかく歩く。歩くしかないんだから
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右手に地蔵堂があり、六体のお地蔵さんが木の下に鎮座しています。
隣は今時のアパートだけどなんとなく昔の風景が想像できる。というよりもきっと変わってないだろうなと。
鎮座している高さ1m程度の高地には標準点があります。
ますますいよいよ田んぼの真ん中^^;
舗装こそされているけど、これこそが関東平野の中山道か。
遠くには上越新幹線のものらしき高架が見えますが、列車はいっこう通らず。
途中、英泉が鴻巣宿の題材としたのが前砂村の道標のあたりだそうです。
そこから左に入ると句碑が80個もあるという龍昌寺があるそうで、ガイドさんが生きた目印となってたたずんでいました、
遠くから見ると養蜂家にしか見えません(苦笑)
「吹上に行くとね、B級グルメのゼリーフライっていうのがあるんです」とささやかれました。
ゼリーフライってゼリーのフライかと思いきや、おからを山芋でつないで揚げた物だという。
炎天下、口の中がパサパサで揚げ物は食べられないけれど、おみやげとしては最適かな。
間の宿吹上に到着。
ここにきていよいよ鉄っちゃんの高崎線イメージから出たようです。
これは一般の地方都市。
やっと東京を出たか!と感じました。
沿道にあった肉屋さんの看板に、「ゼリーフライあります」とあり、「買う?買ってくる?」と妻が言うのに、「うん」と生返事をする
と、店へと駆け足。
妻は戻ってきて、「なかった。売り切れだって」と。
なんでも「さっき来た人たち」が買っていって、今日の分は売り切れてしまったのだとか。
「水曜日にもよく売れたけどあの人たちもお仲間?」とか言われたらしい
たまたま店に来ていた人は、妻の説明に「なんのために歩いてるの?スポーツ?」と聞かれたらしい。
まだまだ旧街道歩きの認知度は低いな(苦笑)
吹上駅を越えて左に曲がると昭和に引き戻される。気分が落ち着きますな。
とはいうものの何かがあるわけではないからさっさと歩きますが^^;
中山道は線路の向こうにまっすぐ見えているのに、踏切がないからわざわざ迂回しなければならない。
国鉄はなぜここに踏切を設けなかったのだろうか。
迂回していよいよラストスパートです。
「土手に上がると風が吹いて涼しいですよ」という水曜日の先達の言葉を信じています。
しばらくは土手へと向かう道、これ河渡宿手前で長長良川を渡る手前の土手へ上がる道に雰囲気がとても似てる。
建物もけっこう古そう。車も通らないし、気楽に歩ける道です。

ラストスパートといえどまだ3kmくらいあります。
左は川が見えないほど広い河原。いや、河原と呼んでいいのか。
ここまで流れてきた荒川は、ほとんど川底を掘ることもなく、だらだら広々と自由に流れていた頃の名残と考えればいいのでしょうか。
それを見ながら堤防を歩きます。
期待した風はほとんどなし。
アスファルトからの照り返しに合い、立ち往生しそう。とにかく暑い暑い。
しかしながら河川敷内にはたくさん田畑があり、目には優しい。
河原から川と反対側に降りれば久下一里塚跡があります。マンションの足下付近にあるわけですが、このあたりの中山道の位置は
たぶんはっきりしてないんでしょう。もしくは失われてしまったか。細い川があるのは、水量調整用の川か、用水。後世の物であ
る可能性が高いから、位置の同定とは関係がない。一里塚の位置が正しそうだから、堤防と堤防下との間に位置したと考えるのが
一番可能性が高いのかなぁ。
いろいろと考えながら歩いているけど、何も痕跡がないのですべては暑さしのぎになりました。
やがて堤防をおりてゆくと久下神社に着きます。
神社の中には石碑が5〜6あります。正面に大きく目立つのは忠魂碑。揮毫は安正、かの福島安正の書であると思われます。
裏には小学校があり、神社のきわには久下村道路元票があります。
これらの構成物をみればここが旧久下村の中心地であったことは間違いがないところ。役場は神社隣の空き地になっている部分にあっ
たのではないだろうか。
バスはここから数百メートルのところにいるはず。
ジュースなどでのどを潤して、あとからやってくる人たちをみながらゆっくりと休憩し、バスに向かいました。
前日泊まった温泉で再び湯に浸かり、帰路350kmをバスの中でゆっくりと過ごしました。
パワーリソースを胃に持って行かれないように朝食は控えめにしました。
昨日の続きから。
鴻巣駅付近は時間が早いので通勤通学の人が多く見受けられます。さすが平日!
なんとなく宿場町っぽい商店街を抜けてたんたんと歩きます。
片道一車線の歩道のない道を歩くと、なぜか旧街道っていう気がしてきます。
宿場を外れても家は続きます。
往時は一面の田んぼだったんでしょうね。
それを想像しながら、ときおり遠くを見ても、回りには家がいっぱい、あとは空が見えるだけ。

箕田観音とか宝持寺などが点々とし、そのたびにいっしょに歩いている人が減ります。
「今日はかなり前の方だぞ」とはしゃいでいるのは自分だけ。
「そんなことないよ」と言うのは妻。
彼女のいうことはほとんど当たらなかったにもかかわらず相変わらずの発言に苦笑いするしかない^^;
氷川八幡に到着。
裏の宝持寺へ人が大半で、これまた余裕をかましてうちらも休憩します。
暑いのによくここまでさして息も上がらずにきたなって感じ。
出発してから30分ほどして、前のグループに追いつきましたからね。
氷川八幡の中では近所の人が掃除中でした。氏子さん?シルバーさん?
あとから追いついて来る人たちを見ていると、だんだん焦りが出てきた。
結局30分程度休憩してたようです。
ブドウ糖を補給して出発。
はやめはやめのブドウ糖ネ!
すっかり人影もなくなり、ちょっと追い上げ気分で出発。
同じような風景が続き、とにかく歩く。歩くしかないんだから

右手に地蔵堂があり、六体のお地蔵さんが木の下に鎮座しています。
隣は今時のアパートだけどなんとなく昔の風景が想像できる。というよりもきっと変わってないだろうなと。
鎮座している高さ1m程度の高地には標準点があります。
ますますいよいよ田んぼの真ん中^^;
舗装こそされているけど、これこそが関東平野の中山道か。
遠くには上越新幹線のものらしき高架が見えますが、列車はいっこう通らず。
途中、英泉が鴻巣宿の題材としたのが前砂村の道標のあたりだそうです。
そこから左に入ると句碑が80個もあるという龍昌寺があるそうで、ガイドさんが生きた目印となってたたずんでいました、
遠くから見ると養蜂家にしか見えません(苦笑)
「吹上に行くとね、B級グルメのゼリーフライっていうのがあるんです」とささやかれました。
ゼリーフライってゼリーのフライかと思いきや、おからを山芋でつないで揚げた物だという。
炎天下、口の中がパサパサで揚げ物は食べられないけれど、おみやげとしては最適かな。
間の宿吹上に到着。
ここにきていよいよ鉄っちゃんの高崎線イメージから出たようです。
これは一般の地方都市。
やっと東京を出たか!と感じました。
沿道にあった肉屋さんの看板に、「ゼリーフライあります」とあり、「買う?買ってくる?」と妻が言うのに、「うん」と生返事をする
と、店へと駆け足。
妻は戻ってきて、「なかった。売り切れだって」と。
なんでも「さっき来た人たち」が買っていって、今日の分は売り切れてしまったのだとか。
「水曜日にもよく売れたけどあの人たちもお仲間?」とか言われたらしい

たまたま店に来ていた人は、妻の説明に「なんのために歩いてるの?スポーツ?」と聞かれたらしい。
まだまだ旧街道歩きの認知度は低いな(苦笑)
吹上駅を越えて左に曲がると昭和に引き戻される。気分が落ち着きますな。
とはいうものの何かがあるわけではないからさっさと歩きますが^^;
中山道は線路の向こうにまっすぐ見えているのに、踏切がないからわざわざ迂回しなければならない。
国鉄はなぜここに踏切を設けなかったのだろうか。
迂回していよいよラストスパートです。
「土手に上がると風が吹いて涼しいですよ」という水曜日の先達の言葉を信じています。
しばらくは土手へと向かう道、これ河渡宿手前で長長良川を渡る手前の土手へ上がる道に雰囲気がとても似てる。
建物もけっこう古そう。車も通らないし、気楽に歩ける道です。



ラストスパートといえどまだ3kmくらいあります。
左は川が見えないほど広い河原。いや、河原と呼んでいいのか。
ここまで流れてきた荒川は、ほとんど川底を掘ることもなく、だらだら広々と自由に流れていた頃の名残と考えればいいのでしょうか。
それを見ながら堤防を歩きます。
期待した風はほとんどなし。
アスファルトからの照り返しに合い、立ち往生しそう。とにかく暑い暑い。
しかしながら河川敷内にはたくさん田畑があり、目には優しい。
河原から川と反対側に降りれば久下一里塚跡があります。マンションの足下付近にあるわけですが、このあたりの中山道の位置は
たぶんはっきりしてないんでしょう。もしくは失われてしまったか。細い川があるのは、水量調整用の川か、用水。後世の物であ
る可能性が高いから、位置の同定とは関係がない。一里塚の位置が正しそうだから、堤防と堤防下との間に位置したと考えるのが
一番可能性が高いのかなぁ。
いろいろと考えながら歩いているけど、何も痕跡がないのですべては暑さしのぎになりました。
やがて堤防をおりてゆくと久下神社に着きます。
神社の中には石碑が5〜6あります。正面に大きく目立つのは忠魂碑。揮毫は安正、かの福島安正の書であると思われます。
裏には小学校があり、神社のきわには久下村道路元票があります。
これらの構成物をみればここが旧久下村の中心地であったことは間違いがないところ。役場は神社隣の空き地になっている部分にあっ
たのではないだろうか。
バスはここから数百メートルのところにいるはず。
ジュースなどでのどを潤して、あとからやってくる人たちをみながらゆっくりと休憩し、バスに向かいました。
前日泊まった温泉で再び湯に浸かり、帰路350kmをバスの中でゆっくりと過ごしました。
Posted by くじらちゃん at 12:00│Comments(0)