2011年11月02日
中山道ウォーク(16)須原宿→野尻宿(上)
木曽に戻ってきました。
待ってましたよ、須原^^
記録によれば2007年の4月19日に来てるから、4年半ぶりです。
定勝寺はじめ見所が多いので、ゆっくり回ってみようと思います。


須原の駅前からのスタートです。
こんなにアクセスがいいのは日本橋以来じゃないですか。
須原駅はわずかに中山道から外れていますが、いままでに何度か道を外れているからあわてるには当たりますまい。
まずは桜漬け。
今時珍しいものではないですが、須原といえば桜漬け。
けっこう高いんですが、これを買います。
買ってるのは自分たちを含めて5人ほど。
うーーーん、なぜ買わん?
須原駅を下ると右後ろへ下がる道があります。
これが本来の中山道で、前回来たときはこの道を下がっています。
今回はスルー。
前回こちらへ上がってこず、そのまま木曽川向こうのスポーツ広場へ行ってしまったため、またダメが出てしまいました。
まあそれは妻だけの問題ですが^0^;
さらに下る中山道の右手に西尾酒造です。
脇本陣を勤めたことといい木曽家に仕えていたという事実から、木曽谷屈指の名家と言えるでしょう。
以前は確かおばちゃんが対応してくれましたが、今回はおねーさん。
いつものように「街道筋の人がいつも飲んでいる酒」と、「店の売り」の二種類を買いました。
店の人が味の違いを語られてしまうので、こちらとしても困った。
「ちょっとお飲みになってみますか」と試飲の提案。
おぉ、ありがたい!うれしい!ヾ(@⌒▽⌒@)ノ
でも最初から決めているのは旧2級の一升瓶と、この時期出回り始める生しぼりたて原酒。
ただし生しぼりたて原酒も何種類かあったので、こちらは味で決める。
試飲しながら店の中を眺め回す。
大正の中期くらいの建物でしょうか。洋風化の嵐が過ぎ去ったあとの建物に感じます。
明治42年に中央線がやって来て、この土地にも西洋がやってきたんですね。
隣の宿場・野尻にはまだそういった建物があります。
西尾酒造、とにかく天井が高い。
もう規格外(笑)
そして一升瓶をリュックに入れ、ビニール袋に入れられた4合びんは妻が手に持ちました。
でも手がふさがっていては写真が撮りにくいので、「それもリュックにいれやいいがや」と手を空けさせました。
一升も一升四合も変われへんて。
丸木をくりぬいた水船は本当にたくさんあります。
以前こんなにたくさんあったかな。
でも記憶よりも道路幅は狭かったし、意外と古い家が多く残ってますね。
古くない家も、街道から一歩下がって家を建てているので、かつての面影が感じられます。
奈良井や妻籠ばかりがもてはやされて須原に観光客がほとんどいないのは、食べ物屋やみやげ物がないためでしょう。
もっとも須原の人たちはそんなもの望まないでしょうね。
奈良井や妻籠なんていう町は今やただの観光地で、人が住めるところではなくなりました。
静かに住める古い品のある町ってのが須原の良いところ。
写真を撮っていたらツアーのおじさんがぼやきます。
「せっかく古い家がたくさんあるのに車がいっぱい止まっとるでダメだわ」と。
いいながらも写真を撮ってるんですがね。
ツアーに備えて調べているとき知ったことですが、旧須原宿が洪水で流されてのち現在地に再建された時分、定勝寺手前で右に折れて
いたんだそうな。現在のようにまっすぐ抜けられるようになったのは後のことらしい。右へ折れる地点のことを「鍵屋の辻」というら
しい。言い得て妙、言葉のそのままです。真ん中には水路(というかありゃ沢じゃないの?)が通り、旧街道の濃く雰囲気が漂います。

今日は時間があるので、定勝寺にも寄ります。
前回は見ませんでしたから、今回は時間に余裕さえあれば最初から見るつもりでした。
ありがたいことにツアー料金に入ってました^^
受付でご朱印帳を預けて庫裏にはいります。
高い天井の台所、その奥には違い棚があり、さらに奥には床の間があります。
「ここに明治天皇がお泊まりになられました」と解説が入ります。
上段がないので、おそらく畳でも敷いて高くしたのでしょう。
床の間の横には書院があるので、間違いなく書院造りです(笑)
みな襖が外されているので、どういう雰囲気なのかわからないのがちょっと残念。
裏の庭も見て、欄間に掛かる三舟の筆を見て外に出る。
庫裏とかお寺の構造物にはまるっきり疎いんだけど、庫裏といえば住職が生活を営む場であるというのが自分の知識。
この大きな書院と違い棚はなんのため...?
外観もどっしりしていていいなあ。
台所から入らず、門から入ればよかったよw
ついつい長居してしまいました。
またビリです。
待ってましたよ、須原^^
記録によれば2007年の4月19日に来てるから、4年半ぶりです。
定勝寺はじめ見所が多いので、ゆっくり回ってみようと思います。






須原の駅前からのスタートです。
こんなにアクセスがいいのは日本橋以来じゃないですか。
須原駅はわずかに中山道から外れていますが、いままでに何度か道を外れているからあわてるには当たりますまい。
まずは桜漬け。
今時珍しいものではないですが、須原といえば桜漬け。
けっこう高いんですが、これを買います。
買ってるのは自分たちを含めて5人ほど。
うーーーん、なぜ買わん?
須原駅を下ると右後ろへ下がる道があります。
これが本来の中山道で、前回来たときはこの道を下がっています。
今回はスルー。
前回こちらへ上がってこず、そのまま木曽川向こうのスポーツ広場へ行ってしまったため、またダメが出てしまいました。
まあそれは妻だけの問題ですが^0^;
さらに下る中山道の右手に西尾酒造です。
脇本陣を勤めたことといい木曽家に仕えていたという事実から、木曽谷屈指の名家と言えるでしょう。
以前は確かおばちゃんが対応してくれましたが、今回はおねーさん。
いつものように「街道筋の人がいつも飲んでいる酒」と、「店の売り」の二種類を買いました。
店の人が味の違いを語られてしまうので、こちらとしても困った。
「ちょっとお飲みになってみますか」と試飲の提案。
おぉ、ありがたい!うれしい!ヾ(@⌒▽⌒@)ノ
でも最初から決めているのは旧2級の一升瓶と、この時期出回り始める生しぼりたて原酒。
ただし生しぼりたて原酒も何種類かあったので、こちらは味で決める。
試飲しながら店の中を眺め回す。
大正の中期くらいの建物でしょうか。洋風化の嵐が過ぎ去ったあとの建物に感じます。
明治42年に中央線がやって来て、この土地にも西洋がやってきたんですね。
隣の宿場・野尻にはまだそういった建物があります。
西尾酒造、とにかく天井が高い。
もう規格外(笑)
そして一升瓶をリュックに入れ、ビニール袋に入れられた4合びんは妻が手に持ちました。
でも手がふさがっていては写真が撮りにくいので、「それもリュックにいれやいいがや」と手を空けさせました。
一升も一升四合も変われへんて。
丸木をくりぬいた水船は本当にたくさんあります。
以前こんなにたくさんあったかな。
でも記憶よりも道路幅は狭かったし、意外と古い家が多く残ってますね。
古くない家も、街道から一歩下がって家を建てているので、かつての面影が感じられます。
奈良井や妻籠ばかりがもてはやされて須原に観光客がほとんどいないのは、食べ物屋やみやげ物がないためでしょう。
もっとも須原の人たちはそんなもの望まないでしょうね。
奈良井や妻籠なんていう町は今やただの観光地で、人が住めるところではなくなりました。
静かに住める古い品のある町ってのが須原の良いところ。
写真を撮っていたらツアーのおじさんがぼやきます。
「せっかく古い家がたくさんあるのに車がいっぱい止まっとるでダメだわ」と。
いいながらも写真を撮ってるんですがね。
ツアーに備えて調べているとき知ったことですが、旧須原宿が洪水で流されてのち現在地に再建された時分、定勝寺手前で右に折れて
いたんだそうな。現在のようにまっすぐ抜けられるようになったのは後のことらしい。右へ折れる地点のことを「鍵屋の辻」というら
しい。言い得て妙、言葉のそのままです。真ん中には水路(というかありゃ沢じゃないの?)が通り、旧街道の濃く雰囲気が漂います。

今日は時間があるので、定勝寺にも寄ります。
前回は見ませんでしたから、今回は時間に余裕さえあれば最初から見るつもりでした。
ありがたいことにツアー料金に入ってました^^
受付でご朱印帳を預けて庫裏にはいります。
高い天井の台所、その奥には違い棚があり、さらに奥には床の間があります。
「ここに明治天皇がお泊まりになられました」と解説が入ります。
上段がないので、おそらく畳でも敷いて高くしたのでしょう。
床の間の横には書院があるので、間違いなく書院造りです(笑)
みな襖が外されているので、どういう雰囲気なのかわからないのがちょっと残念。
裏の庭も見て、欄間に掛かる三舟の筆を見て外に出る。
庫裏とかお寺の構造物にはまるっきり疎いんだけど、庫裏といえば住職が生活を営む場であるというのが自分の知識。
この大きな書院と違い棚はなんのため...?
外観もどっしりしていていいなあ。
台所から入らず、門から入ればよかったよw
ついつい長居してしまいました。
またビリです。
Posted by くじらちゃん at 14:31│Comments(0)