2012年05月02日
中山道ウォーク(25)久下→本庄宿
時間がたち、季節が変わり気候が違うと、以前歩いたときの整合性をとるのに時間がかかります。
前回は久下まででした。
夏さにひいふう言いながら荒川の堤防を歩いたんでしっけ。
あれから半年^^;;
1泊2日だから焦る必要はなくゆっくり思い出せばいい。
久下は福島安正の筆を見た記憶がよく残っていて、時間さえ許せば久下神社をもう一度見ておきたかったですが、スタート地点から久
下神社まで往復1km近くはあり、早々にあきらめました。
少し歩くと「あのときは暑かった」記憶がよみがえってきます。
まあよみがえってくるだけですが^^;
少し歩けば道幅が広くなり、いつもの道になります。
何もない退屈な道。
星川は干川の転訛でしょうか。
染め物を洗っていたといいますが、面影は皆無です。
気分はわりと昂揚するんですが、歩いているうちにドンドンテンションが落ちていくんですなぁ。
秩父鉄道や高崎線を越えれば、熊谷宿。
宿場も今までと同じような宿場と似た景色です。
旧宿場の道幅は大変に広い。その両側にいわゆる看板建築が多く見受けられるのは、町の発展時期に関係しているのでしょうか。
看板建築は昭和初期頃に多かったと思われますが、その時期に片道3〜4車線もある太い道路に改められたのか。
看板建築は人目につく面だけ洋風にしたもので、基本的に木造建築です。
通りのすべてが後ろに下がったとは考えにくく、当時の人の力の入れようが思われます。
先見の明があったといいますか。
でもそれほど交通量は多くない感じだし、やはり寂れた印象は否定できません。
中山道は八木橋デパートの中を通りますが、通路のある位置が中山道だったかどうかは不明。
通路経由でまっすぐ進むとそのまま旧道に出ます。
駐車場がこの先にあるらしく、旧道はクルマと歩行者で大混乱です。
八木橋デパートを南に曲がると、星渓園という庭があります。
荒川の氾濫でできた水たまりを池として、庭を造ったそうです。
100年以上もたつと水たまりはすっかり池でした。水たまりだった気配はありません。
「池として残すことで、洪水の被害を伝え、警戒を促した」というのがうちらの見方です。
夏だったら涼しかったでしょうねー。
町を抜けてまた淡々と歩きます。
何もない道に妻はスピードをのっけて歩いています。
とにかく歩くだけです。
忍藩の領界石も気付かないご様子。
「もう通り過ぎたあ?」って。
注意力不足よ(笑)
これは一種の試練です。
でも今日は江戸時代から継続営業している旅館に泊まれることのみを楽しみに歩きます。
なんとか日暮れまでには着きたい。
そしてつらい一日が終わりました。
街道歩きが街道沿いにある旅館にそのまま泊まれるということは本当に少なくなりましたから、これはある意味貴重な経験です。
ぼくは街道に面した二階の部屋、妻は...不明(笑)
いつものように食事を終え、部屋に戻る途中玄関を通るのですが、旅館のご主人がおられたので話しかけてみました。
きんとう旅館、古い建物ではないと思うのですが構造が古い。
玄関正面に階段があり、奥にももうひとつ階段がある。
玄関にはロビーのように使われている昔で言うところのミセがあります。
この構造だけでも街道の雰囲気を感じられますよねぇ。
深谷の昔の話しや写真なんぞを1時間ほど話しました。
楽しい1時間でした。
ご主人は平清盛を見たいようでしたが^^;;;
風呂に入って、22時過ぎ少し街道筋を歩いてみました。
予習です(笑)
勉強の予習は生涯一度もしなかったけど、こういうことの予習には熱心なんですよ(笑)
15分ほど京都方へ歩いてみました。
宿場の夜って雰囲気がありそうな気がするのでこうして歩いてみるんですが、実際はなんにもなくて独りよがりな妄想に浸るだけ
のことです。この日も黙って帰ってさっさと寝ました。
2日目のあさ。
8時出発...ですが、やっぱり最後尾からのスタートなんですね。
余裕かましすぎ。
前日チェックした酒屋さん、朝の8時半にもならないというのにもう開いてます。
藤橋藤三郎商店という造り酒屋さんでした。
酒屋っていうのはシャッターがしまっていてもわかりましたが、造り酒屋とはうれしい。
早速朝っぱら中に入っていくと、きさくな奥さんがきき酒をさせてくれました。
朝の8時からきき酒ですわヾ(@⌒▽⌒@)ノ
そんなのをなめているうち、おひな様をみせてくれると言う話になって、お言葉に甘えて隠居部屋に飾ってあるおひなさまを
みせていただきました。
おひなさまの善し悪しはよくわからんけれど、ここの店がどんだけ繁盛していたかっていうのはわかる。
今は使われていない高い煙突が、ランドマークのようにそそりたっています。
隠居部屋も茶室に毛が生えたような規模ではなく、もう一軒家と呼んでいいほど立派なたたずまい...
その下には防空壕があるそうで、側面にはその入り口があります。これが鉄の扉!
この建物は存在自体が資料館です。
しかもこの家の人はそれを認識していることがすばらしい。
いつまでも末永くこの地で商売を続けていただきたいものです。
その後旧店舗の写真などを見て話すうち、なんとしんがりであるはずの添乗員チームがやってきました。
なんということ!時計を見ればもう9時だよ!
あわてて酒を買い、「まだバスに戻るので荷物をお預かりしましょうか」という優しい言葉に酒を託しました。
1升ビン1本と4合ビン2本リュックに歩くのはなるべくなら回避したいですから。
まぁ自爆といえば自爆なんですが(笑)
きき酒でちょっといい気分になりました。
さらに行くとだんだんとにぎやかさが薄まっていくように思いますが、古い形態の建物が意外と多いです。
どこの旧宿場も今では寂れた商店街になってしまっていますが、ここもその例にもれません。が、かなり善戦しているとは思います。
きっと町作りパワーみたいな人たちが引っ張ってるんでしょう。
七ツ梅酒造だった建物があります。
人気がなく入っていいのかどうかもよくわかりませんが、夜は門が閉めてあったし、中は商売をしている風なので入ってみました。
造り酒屋の建物をそのまま利用して町おこしに使っているようです。
使っていない建物や、造り酒屋時代の遺物などがあちらこちらにころがったりしていますが、使っている建物はそれなりに手入れされて
いるし、トイレもきれいでした。
とにかくだれもいないし、話し声も聞こえないので、勝手に内部を見学して出てきました。
この建物、母屋がとても素敵で、二階部分が洋風テラスになっています。ここでビアガーデンでもやればいい気分で飲めそうです。
一番奥には深谷シネマがありました。
室内には照明がついているものの人気はなく、営業しているかどうかも疑わしい。いずれにしろ映画に用はないので、スルーしましたが。
あんまりこぎれいに直すのではなく、すきま風が入るような日本らしい空間を作り出して欲しいですね。
今後に大いに期待します。
商店も切れかけたところに糸屋菓子舗がありました。
これも古い建物で、みやげを飼うという口実で中を見学します^^
すべてが木製。うすぐらい店内に活気のある声。
お客がいることのできるスペースは小さいですが、そこに5人ほどが入り込んでます。
朝から菓子を買ってますよ!(笑)
うちらは五家寶を買いました。
関東では和菓子屋でみかけるみたいですが、あいにくとこちらは名古屋人。
興味津々です。
ぼくはみちみちかじりながら歩こうと、豆板を買いました。
豆板なんてものもかなり久しぶりに食べます。
通りに郵便局を発見。
近頃また復活した旅行貯金でわずかな額を入金します。
通算すれば100局近くはあるはずですが、古い通帳が散逸しているために、現通帳にはわずか8局。
それに中山道沿いばかりです。
今の中山道ウォーク経路上、つまり中山道にある郵便局では基本的に貯金しています。
通りに郵便局があるというのも、かつて幹線道路であった証明です。
甘い物をぽりぽりやりながら歩いていくと、高いレンガ積みの煙突が見えてきます。
「ありゃなんの煙突だ?」
造り酒屋じゃないかという大きな期待を背負って近づいてゆくと、大きな建物に小さな店。滝澤酒造です。
先の藤橋商店では、別の蔵元に醸造を依頼しているそうですが、ここは現在でもこの地で作っているようです。
歴史を感じられる古い建物。
小売り部(事務所)にはいると秤が置いてあったと想像されるくぼみがあり、うれしくなりました。
またここで1升ビンと4合ビンを買い求めました。
やむを得ぬ、かついで歩くしかない。
深谷というのは、関東の宿場で最も好感を抱いた土地です。
日本の産業のために尽くした渋沢栄一を生んだ町、中山道の宿場町。
ただし深谷の人は渋沢をそれほど慕ってないらしい。
「深谷のために尽くしてわけではないから」というのがその理由だそうですが、これは視野が狭いというもの。
渋沢は深谷を見ていたわけではなく、日本を見ていた。日本のために尽くした人だから。
深谷という町だけを見るような小さな人物ではなかったのです。
せめて渋沢のような大きな人を産んだことを誇って欲しいと思います。
「かつては繁栄した」っていう形容がよく為されますが、ここはそれが色濃く残っています。看板建築は随所にみられるし、レンガを使っ
た個性的な建物もいくつもある。老舗や造り酒屋がつい最近まで3軒もあったりと、かつての繁栄の名残が今もあります。古い町並みも静
態保存から動態保存が主流になりつつある現代において、多くの古い資産を持ちながらの動態保存は大変に魅力的であると思います。
食べて良し、歩いて良し。果ては映画館まで。
充実すれば静態保存の典型である妻籠と双璧を為すかも知れない。
そうそう、夜の町を散策した旦那に対抗して、妻は早朝から深谷駅を見に行ったようです。
「れんが作りの立派な建物だったよー」とはしゃいで帰ってきましたが、それはレンガではなくタイルだよ^^;
もう少し行くと道がうねって、枡形のようになります。
常夜灯がたっており、反対側は公民館。
楽しかった深谷宿も終わりです。
後ろ髪ひかれる思いで、先を急ぎます。
ここまで1kmで1時間半かかっている。
豆板を食べきった後は、ぃっしょうけんめい歩きました。
本人はハイペースで歩いているつもりなんですが、妻はもっと速い。
最初のうちは待ってくれることもあったけど、そのうちドンドン一人で行ってしまうようになりました^^;
いままでの経験上、彼女のペースは旅行会社が設定している速度より速いので、計算しながら歩くタイプの自分はほとんどマイペースです。
それでも急ぎ足のマイペースっていうところでしょうか。
つまり彼女との中間速度。それがいい。
時折気が向くと神社にもよりますが、ほとんどは歩くだけ。
国道17号線歩きはちょっぴりつらいけれど、立派な農家がたくさんあり建物をみてるのがけっこう楽しかったです。
車さえもうちょっと少なければねー。
岡一里塚跡から17号と分かれると車はなくなり、お気楽になりました。
島護産泰神社から右に折れて、仲宿歴史公園という道の駅がチェックポイントのようになっており、待機中のバスに荷物を積み込みたい。
なんで、ちょっと気が向いてこの神社に入ってみました。
神社に入る理由は石碑のチェックで、著名人の揮毫を探しているだけと言ってもいいくらい。
この神社にはそれらはありませんでしたが、大名とおぼしき人の名が入った灯籠を見つけました。
「従五位下源朝臣信濃守信富」
従五位下だと大名だし、源朝臣っていうんだから、これはおそらく松平系のような気はするけれど、真剣に調べてみんとわからんみたいだ。
仲宿歴史公園到着。
なぜ仲宿?
バスが待機しており、重かった酒をパスに積み込み開放されました!
リュックすら背負ってないみたいに軽い!
ビリは間違いないところですが、追い上げる気分になりました。
さて追い込みに備えてここはひとつ腹ごしらえをしておこう。
上州といえばネギ。ここはネギラーメンを食おう!
ちなみにバスのトランク内にはかぐわしいネギの香りがいっぱいでした。
ネギといえど新鮮もなものは、目をつくような刺激臭があるのですね。
もう強烈です(笑)
ラーメンを食って出発。
中山道に戻ると、17号バイパスと地形の絡みで少し楽しい道の変化がありました。
坂を下って17号を渡り、何もない平野の真ん中の一本道をゆきます。
これはたぶん17号の旧道なのでしょう。
小山川を渡る滝岡橋は立派なコンクリート橋で、存在感をア・ピールしています。
まあ17号バイパスはまっすぐ本庄の街を目指しているため、土地勘のないわれわれは、この道を大変な迂回路と感じます。
実際バイパス経路を中山道が通らなかったのはなぜなのか。
ふたたび17号バイパスと交差して、本庄の宿場へと入っていきます。
ここも今までの宿場と風情が似ています。
看板建築が多く、古い建物も時折現存します。
本庄仲町郵便局は、登録文化財だそうですが改修中で外観はみられず。
裏の建物と局内は見学できました。裏の建物がなかなかいいんですが、郵便局の裏とあって、気付く人は少ないみたい。
ここでも旅行貯金。
残るは旧本庄警察署の建物と本陣の門をみるだけ。
旧本庄警察署は歴史民俗資料館に利用されていますが、月曜とあっては休館です。
写真だけ撮ってゴールのコンビニへ。制限時間の15分前!
見事というほかない時間の使い方ですな。
もちろんビリではありますが、添乗員さんが道標を回収しているのでわれわれが到着してもまだ出発できません。
ビールとつまみを買って、豊橋までの長旅に備えましたとさ。
前回は久下まででした。
夏さにひいふう言いながら荒川の堤防を歩いたんでしっけ。
あれから半年^^;;
1泊2日だから焦る必要はなくゆっくり思い出せばいい。
久下は福島安正の筆を見た記憶がよく残っていて、時間さえ許せば久下神社をもう一度見ておきたかったですが、スタート地点から久
下神社まで往復1km近くはあり、早々にあきらめました。
少し歩くと「あのときは暑かった」記憶がよみがえってきます。
まあよみがえってくるだけですが^^;
少し歩けば道幅が広くなり、いつもの道になります。
何もない退屈な道。
星川は干川の転訛でしょうか。
染め物を洗っていたといいますが、面影は皆無です。
気分はわりと昂揚するんですが、歩いているうちにドンドンテンションが落ちていくんですなぁ。
秩父鉄道や高崎線を越えれば、熊谷宿。
宿場も今までと同じような宿場と似た景色です。
旧宿場の道幅は大変に広い。その両側にいわゆる看板建築が多く見受けられるのは、町の発展時期に関係しているのでしょうか。
看板建築は昭和初期頃に多かったと思われますが、その時期に片道3〜4車線もある太い道路に改められたのか。
看板建築は人目につく面だけ洋風にしたもので、基本的に木造建築です。
通りのすべてが後ろに下がったとは考えにくく、当時の人の力の入れようが思われます。
先見の明があったといいますか。
でもそれほど交通量は多くない感じだし、やはり寂れた印象は否定できません。
中山道は八木橋デパートの中を通りますが、通路のある位置が中山道だったかどうかは不明。
通路経由でまっすぐ進むとそのまま旧道に出ます。
駐車場がこの先にあるらしく、旧道はクルマと歩行者で大混乱です。
八木橋デパートを南に曲がると、星渓園という庭があります。
荒川の氾濫でできた水たまりを池として、庭を造ったそうです。
100年以上もたつと水たまりはすっかり池でした。水たまりだった気配はありません。
「池として残すことで、洪水の被害を伝え、警戒を促した」というのがうちらの見方です。
夏だったら涼しかったでしょうねー。
町を抜けてまた淡々と歩きます。
何もない道に妻はスピードをのっけて歩いています。
とにかく歩くだけです。
忍藩の領界石も気付かないご様子。
「もう通り過ぎたあ?」って。
注意力不足よ(笑)
これは一種の試練です。
でも今日は江戸時代から継続営業している旅館に泊まれることのみを楽しみに歩きます。
なんとか日暮れまでには着きたい。
そしてつらい一日が終わりました。
街道歩きが街道沿いにある旅館にそのまま泊まれるということは本当に少なくなりましたから、これはある意味貴重な経験です。
ぼくは街道に面した二階の部屋、妻は...不明(笑)
いつものように食事を終え、部屋に戻る途中玄関を通るのですが、旅館のご主人がおられたので話しかけてみました。
きんとう旅館、古い建物ではないと思うのですが構造が古い。
玄関正面に階段があり、奥にももうひとつ階段がある。
玄関にはロビーのように使われている昔で言うところのミセがあります。
この構造だけでも街道の雰囲気を感じられますよねぇ。
深谷の昔の話しや写真なんぞを1時間ほど話しました。
楽しい1時間でした。
ご主人は平清盛を見たいようでしたが^^;;;
風呂に入って、22時過ぎ少し街道筋を歩いてみました。
予習です(笑)
勉強の予習は生涯一度もしなかったけど、こういうことの予習には熱心なんですよ(笑)
15分ほど京都方へ歩いてみました。
宿場の夜って雰囲気がありそうな気がするのでこうして歩いてみるんですが、実際はなんにもなくて独りよがりな妄想に浸るだけ
のことです。この日も黙って帰ってさっさと寝ました。
2日目のあさ。
8時出発...ですが、やっぱり最後尾からのスタートなんですね。
余裕かましすぎ。
前日チェックした酒屋さん、朝の8時半にもならないというのにもう開いてます。
藤橋藤三郎商店という造り酒屋さんでした。
酒屋っていうのはシャッターがしまっていてもわかりましたが、造り酒屋とはうれしい。
早速朝っぱら中に入っていくと、きさくな奥さんがきき酒をさせてくれました。
朝の8時からきき酒ですわヾ(@⌒▽⌒@)ノ
そんなのをなめているうち、おひな様をみせてくれると言う話になって、お言葉に甘えて隠居部屋に飾ってあるおひなさまを
みせていただきました。
おひなさまの善し悪しはよくわからんけれど、ここの店がどんだけ繁盛していたかっていうのはわかる。
今は使われていない高い煙突が、ランドマークのようにそそりたっています。
隠居部屋も茶室に毛が生えたような規模ではなく、もう一軒家と呼んでいいほど立派なたたずまい...
その下には防空壕があるそうで、側面にはその入り口があります。これが鉄の扉!
この建物は存在自体が資料館です。
しかもこの家の人はそれを認識していることがすばらしい。
いつまでも末永くこの地で商売を続けていただきたいものです。
その後旧店舗の写真などを見て話すうち、なんとしんがりであるはずの添乗員チームがやってきました。
なんということ!時計を見ればもう9時だよ!
あわてて酒を買い、「まだバスに戻るので荷物をお預かりしましょうか」という優しい言葉に酒を託しました。
1升ビン1本と4合ビン2本リュックに歩くのはなるべくなら回避したいですから。
まぁ自爆といえば自爆なんですが(笑)
きき酒でちょっといい気分になりました。
さらに行くとだんだんとにぎやかさが薄まっていくように思いますが、古い形態の建物が意外と多いです。
どこの旧宿場も今では寂れた商店街になってしまっていますが、ここもその例にもれません。が、かなり善戦しているとは思います。
きっと町作りパワーみたいな人たちが引っ張ってるんでしょう。
七ツ梅酒造だった建物があります。
人気がなく入っていいのかどうかもよくわかりませんが、夜は門が閉めてあったし、中は商売をしている風なので入ってみました。
造り酒屋の建物をそのまま利用して町おこしに使っているようです。
使っていない建物や、造り酒屋時代の遺物などがあちらこちらにころがったりしていますが、使っている建物はそれなりに手入れされて
いるし、トイレもきれいでした。
とにかくだれもいないし、話し声も聞こえないので、勝手に内部を見学して出てきました。
この建物、母屋がとても素敵で、二階部分が洋風テラスになっています。ここでビアガーデンでもやればいい気分で飲めそうです。
一番奥には深谷シネマがありました。
室内には照明がついているものの人気はなく、営業しているかどうかも疑わしい。いずれにしろ映画に用はないので、スルーしましたが。
あんまりこぎれいに直すのではなく、すきま風が入るような日本らしい空間を作り出して欲しいですね。
今後に大いに期待します。
商店も切れかけたところに糸屋菓子舗がありました。
これも古い建物で、みやげを飼うという口実で中を見学します^^
すべてが木製。うすぐらい店内に活気のある声。
お客がいることのできるスペースは小さいですが、そこに5人ほどが入り込んでます。
朝から菓子を買ってますよ!(笑)
うちらは五家寶を買いました。
関東では和菓子屋でみかけるみたいですが、あいにくとこちらは名古屋人。
興味津々です。
ぼくはみちみちかじりながら歩こうと、豆板を買いました。
豆板なんてものもかなり久しぶりに食べます。
通りに郵便局を発見。
近頃また復活した旅行貯金でわずかな額を入金します。
通算すれば100局近くはあるはずですが、古い通帳が散逸しているために、現通帳にはわずか8局。
それに中山道沿いばかりです。
今の中山道ウォーク経路上、つまり中山道にある郵便局では基本的に貯金しています。
通りに郵便局があるというのも、かつて幹線道路であった証明です。
甘い物をぽりぽりやりながら歩いていくと、高いレンガ積みの煙突が見えてきます。
「ありゃなんの煙突だ?」
造り酒屋じゃないかという大きな期待を背負って近づいてゆくと、大きな建物に小さな店。滝澤酒造です。
先の藤橋商店では、別の蔵元に醸造を依頼しているそうですが、ここは現在でもこの地で作っているようです。
歴史を感じられる古い建物。
小売り部(事務所)にはいると秤が置いてあったと想像されるくぼみがあり、うれしくなりました。
またここで1升ビンと4合ビンを買い求めました。
やむを得ぬ、かついで歩くしかない。
深谷というのは、関東の宿場で最も好感を抱いた土地です。
日本の産業のために尽くした渋沢栄一を生んだ町、中山道の宿場町。
ただし深谷の人は渋沢をそれほど慕ってないらしい。
「深谷のために尽くしてわけではないから」というのがその理由だそうですが、これは視野が狭いというもの。
渋沢は深谷を見ていたわけではなく、日本を見ていた。日本のために尽くした人だから。
深谷という町だけを見るような小さな人物ではなかったのです。
せめて渋沢のような大きな人を産んだことを誇って欲しいと思います。
「かつては繁栄した」っていう形容がよく為されますが、ここはそれが色濃く残っています。看板建築は随所にみられるし、レンガを使っ
た個性的な建物もいくつもある。老舗や造り酒屋がつい最近まで3軒もあったりと、かつての繁栄の名残が今もあります。古い町並みも静
態保存から動態保存が主流になりつつある現代において、多くの古い資産を持ちながらの動態保存は大変に魅力的であると思います。
食べて良し、歩いて良し。果ては映画館まで。
充実すれば静態保存の典型である妻籠と双璧を為すかも知れない。
そうそう、夜の町を散策した旦那に対抗して、妻は早朝から深谷駅を見に行ったようです。
「れんが作りの立派な建物だったよー」とはしゃいで帰ってきましたが、それはレンガではなくタイルだよ^^;
もう少し行くと道がうねって、枡形のようになります。
常夜灯がたっており、反対側は公民館。
楽しかった深谷宿も終わりです。
後ろ髪ひかれる思いで、先を急ぎます。
ここまで1kmで1時間半かかっている。
豆板を食べきった後は、ぃっしょうけんめい歩きました。
本人はハイペースで歩いているつもりなんですが、妻はもっと速い。
最初のうちは待ってくれることもあったけど、そのうちドンドン一人で行ってしまうようになりました^^;
いままでの経験上、彼女のペースは旅行会社が設定している速度より速いので、計算しながら歩くタイプの自分はほとんどマイペースです。
それでも急ぎ足のマイペースっていうところでしょうか。
つまり彼女との中間速度。それがいい。
時折気が向くと神社にもよりますが、ほとんどは歩くだけ。
国道17号線歩きはちょっぴりつらいけれど、立派な農家がたくさんあり建物をみてるのがけっこう楽しかったです。
車さえもうちょっと少なければねー。
岡一里塚跡から17号と分かれると車はなくなり、お気楽になりました。
島護産泰神社から右に折れて、仲宿歴史公園という道の駅がチェックポイントのようになっており、待機中のバスに荷物を積み込みたい。
なんで、ちょっと気が向いてこの神社に入ってみました。
神社に入る理由は石碑のチェックで、著名人の揮毫を探しているだけと言ってもいいくらい。
この神社にはそれらはありませんでしたが、大名とおぼしき人の名が入った灯籠を見つけました。
「従五位下源朝臣信濃守信富」
従五位下だと大名だし、源朝臣っていうんだから、これはおそらく松平系のような気はするけれど、真剣に調べてみんとわからんみたいだ。
仲宿歴史公園到着。
なぜ仲宿?
バスが待機しており、重かった酒をパスに積み込み開放されました!
リュックすら背負ってないみたいに軽い!
ビリは間違いないところですが、追い上げる気分になりました。
さて追い込みに備えてここはひとつ腹ごしらえをしておこう。
上州といえばネギ。ここはネギラーメンを食おう!
ちなみにバスのトランク内にはかぐわしいネギの香りがいっぱいでした。
ネギといえど新鮮もなものは、目をつくような刺激臭があるのですね。
もう強烈です(笑)
ラーメンを食って出発。
中山道に戻ると、17号バイパスと地形の絡みで少し楽しい道の変化がありました。
坂を下って17号を渡り、何もない平野の真ん中の一本道をゆきます。
これはたぶん17号の旧道なのでしょう。
小山川を渡る滝岡橋は立派なコンクリート橋で、存在感をア・ピールしています。
まあ17号バイパスはまっすぐ本庄の街を目指しているため、土地勘のないわれわれは、この道を大変な迂回路と感じます。
実際バイパス経路を中山道が通らなかったのはなぜなのか。
ふたたび17号バイパスと交差して、本庄の宿場へと入っていきます。
ここも今までの宿場と風情が似ています。
看板建築が多く、古い建物も時折現存します。
本庄仲町郵便局は、登録文化財だそうですが改修中で外観はみられず。
裏の建物と局内は見学できました。裏の建物がなかなかいいんですが、郵便局の裏とあって、気付く人は少ないみたい。
ここでも旅行貯金。
残るは旧本庄警察署の建物と本陣の門をみるだけ。
旧本庄警察署は歴史民俗資料館に利用されていますが、月曜とあっては休館です。
写真だけ撮ってゴールのコンビニへ。制限時間の15分前!
見事というほかない時間の使い方ですな。
もちろんビリではありますが、添乗員さんが道標を回収しているのでわれわれが到着してもまだ出発できません。
ビールとつまみを買って、豊橋までの長旅に備えましたとさ。
Posted by くじらちゃん at 17:08│Comments(0)
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